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【学生】 そういえば既に夏休み
 7月も今週で終わりとなり、いよいよ夏本番となる8月を迎えようとしている。夏本番といえば海、海といえば砂浜、砂浜といえばスイカ割り、スイカ割りといえばハチマキ、ハチマキといえば祭り、祭りといえば縁日、縁日といえば金魚すくい、金魚すくいといえばプール、プールといえば水着、水着といえば日焼け、日焼けといえば・・・・・と半ば強引に連想ゲームをしてみると、そこからあるひとつのキーワードが摘出される。即ち「休み」である。

 社会人生活も3年ともなると、毎日が夏休みのようだった大学生活が懐かしく感じられ、そのまた前の夏休みのことなんてすっかり忘れてしまっていた。教師志望だというのに学生の夏休みにすら気付かないなんてどうにかしている。というのも、よく考えたら先週あたりから休みなのである。私の記憶が正しければ、3連休の休みでせっかくプレ夏休みをエンジョイしていたのに、たった一日の終業式の為に海の日の翌日は学校に行き、運が悪ければ大掃除まで付いて来るというおまけ付きの、夏休みイヴと呼んでしまうときこえはいいがひとつも学生のためになっていない日を経て、夏休みがやってくるものであった。まあ、その昔海の日なんてものが存在しなかった頃は3連休でもなんでもなかったし、追い討ちをかけるように週休2日制なんてものも存在していなく、土曜日の午前中は学級活動と道徳というおよそダラダラムード満載な時間割でたまに抜き打ちで英語の授業なんてものが存在していたもんだ。

 貴方が子供の頃に刻んでいった「夏休みの思い出」の1頁には果たして何が描かれているであろうか。海・・・、山・・・、帰省・・・、田舎・・・、とんでもない。ぶっちぎりでダントツ1位に挙げられるのは「宿題」に他ならない筈だ。ほんのごく一握りの人間を除いて、殆どの輩は「宿題」という敵に立ち向かい、「にげる」を選んだにもかかわらず、「宿題 にまわりこまれて」しまい、更に「にげる」を選ぶのだが、「宿題 からは永遠に逃れ」られず、結局ギリギリの土壇場で傷を負いつつも何とか勝利するパターンを経験している筈だ。翌年こそはと翌年の夏休み開始3日間迄は計画的に取り組む予定を立て、9月に入ってから宿題をやらぬように努めようとするのだが、どうにも11時頃に再放送される「タッチ」や「少年アシベ」等に目が眩んでしまい、それどころではなくなってしまうのだ。そして選手でもないのに地元の高校野球の試合中継に魅入ってしまい、まさに三日坊主。自分が悪い筈なのに、8月末に決まって泣きながら7月の日記を書き、新聞の天気予報の週間予想を参考に天気を記したら真面目な友人の日記の天気と違い慌てて書き直したにもかかわらず、その友人も実は適当につけていて本当に書いていた所まで書き換えてしまい、「今日は、天気がいいので海水よくに行きました。」「8月3日 天気:雨」なんて矛盾だらけの日記が一丁上がり、先生からはこっ酷く叱られたり友人には笑われたり、散々な夏休み明けを体験したことはないだろうか。

 もうそんな思い出を振り返るような歳になってしまった。今では夏休みなんぞ取れて5日。前後の休日との合わせ技1本でも最大で9日しか取れそうにない。勿論有給をもっと使えば2週間休むことも不可能ではないだろうが、永久に会社に行かなくてもよくなってしまう危険性を孕んでいる為なかなか取りづらいのが現実だ。その限られた時間で今年はどこへ行こうかと考えながら、そういえば鳥取砂丘って未だ見た事無いなぁと妙に山陰方面に関心を示す最近の出来事。青春はしてないけど、青春18切符で時間をかけて旅するに違いない。鉄っちゃんではないけれど。
# by hidemite | 2004-07-27 02:27 | 日常
【憧れ】 となりの・・・
 例の日をピークに徐々に過ごしやすくなってきておりますが、皆さん如何お過ごしでしょうか。このまま気温が下がり続けるようなことが仮にあったとするならば、今年の夏は永遠にエアコンをつけることは無いでしょう。などとちょっと意地を張ったりしてみるが、結局はさしてそう暑くもない日にころっとつけてしまうものなんだろうなぁ。先週の日曜日は半日海に繰り出しており、その後バスケという半ば健康優良児的な生活を送っていましたが、そのときに出来た日焼けが今まさにようやく取れかけようとしております。

 ようやく先週あたりから仕事が落ち着きだし、なんとか自分の家の近くのスーパーが空いている時間に帰れるようになってきたのだが、それでも閉店間際の滑り込みの日も多く、ついつい半額になっている牛肉なんぞを見つけたりするとおもむろに手を取りレジへ向かってしまうという、エンゲル係数増量中で貯金も一向に貯まる気配がない「魔の時間帯」に帰る事が多い。今日も花の金曜日だからだろうか、夜8時半を回って会社に残っていた同部署の人間は私ともう一人しかいなかった。当社比0.25倍である。流石に仕事をしている自分が馬鹿らしくなってきて仕事を放棄する形で家路へと急いだわけだが、家に着くや否やテレビの電源をおもむろにつけると、そこには壮大なファンタジー映画があった。日本人で知らない人はいないと言って良い位の有名監督宮崎駿作品「となりのトトロ」である。

 もう既に10時だったのでまっくろくろすけ登場シーンは見逃したものの、残りの一時間はつい魅入ってしまい、いつもならシャワーを浴びてご飯の用意まで出来る時間をすべてそれに費やしてしまった。いやー、何度見ても面白いよね。しかし大人になって改めて観ると、細かい所で横槍が入り、子供のときに感じていたあのドキドキ感は殆ど無くなってしまっているのだ。これが非常に自分をげんなりさせてしまう。そんな事御前気にすんな、黙ってドキドキしてりゃあいいんだよ。ってな感じで怒られそうな横槍は以下。

・隣にあんな巨大生物が来たら逃げるだろ、普通。好奇心ありすぎだよ。
・お父さん、あんなにガリガリ&ガリ勉っぽく見えるのに、チカラあるんだな。結構な体力の持ち主でも両腕に子供は結構堪えるはずだ。
・ヤツが畑の周りを跳んでるのに、何故地響きが起きないんだ。
・てか、あんな速度で飛んだら人間は息できねーだろ、普通。
・カンタの三角漕ぎは異常だろ、あの自転車でかすぎねーか。
・ああ、サツキとメイって、どっちも5月のことじゃないか。

 しかし、なんだかんだいっても、大人であっても、あのふかふか(そう)なお腹にはぜひしがみついてみたいし、ネコバスに乗って全国を旅してみたいって気持ちは持ちつづけているもんだ。でも、「一生に一回だけ、貴方の願い事を叶える事が出来ます。」という問いに対して、「じゃあ、その願い事100に増やしてください。」と答えてしまうような私には到底そんな夢など夢のままで終わっていくに違いない。所詮目の前に金の斧があったら素直にそれが欲しいと叫んでしまいますよ、ええ。

 何にせよ、子供の頃にこの映画を見れた私はきっと幸せなのだろう。だたら、将来子供が出来た時には是非ともこの映画を見せてあげたいと、3度も蚊を捕まえるのに失敗しながら不安な気持ちで寝床に着く今日この頃。
# by hidemite | 2004-07-24 02:16 | 日々思考
【猛暑】 体温よりアツイ夏
 最近の事ではありますが、私も生息しているここ東京では、なんと最低気温が30度を超える日があったようで、ただただ驚くばかりである。最低気温とはその日1日の中で一番気温が低かった時の気温だから、要はこの日は30度を下回る時が一瞬も存在しなかったということになるわけだ。さらには中お隣の千葉県では40度を越えた地域もあるそうで、もう何がなんだかさっぱりわからない。人間の平熱がおよそ36度であるから、風邪引いて熱を出している温度と何ら変わらないのである。

 そんな中、私はこの夏未だ冷房を使用せずに生き延びている。もちろん2年前から愛用している1980円の扇風機には大変お世話になっている訳だが、今この時に冷房を使ってしまうと、この先8月の1ヶ月間は冷房を使用し続けなければならないのではないだろうかという恐怖感が、今にも壊れそうなエアコンのリモコンのスイッチから私の手を遠ざけていく。しかしよく考えてみればこれ以上気温が高くなるということはほぼ考えようが無い状態なので、今冷房をつけても致し方ないと割り切ることもできなくもない。もう今私がスイッチを押さない理由なんて「意地」の2文字が頭から離れて行かない事に他ならない。まあ、きっと友人等が遊びにでも来たらあっさりとつけてしまうんだろうな。

 しかし、朝起きた瞬間からのこの熱気は一日の活力を半減させること間違いナシだ。決まって布団のシーツと枕は湿っており、頭から流れ出る汗は永遠に止まらない。しかも外出した方が幾分も涼しい環境という、まさに角部屋でない故の苦しみを味わいながら着替えをし、いち早く家を出るのだ。駅迄の道程は正に灼熱地獄。「涼しい」なんて言葉は一言も発する余裕など無い状態である。ようやく駅に着き電車に乗ればそこはパラダイス。冷気の効いた快適な空間が待ち受けている。一気に気持ちも大きくなり、満員電車でも全く苦にならない。但しその時点で着ているワイシャツには汗がタップリ付着し、逆に冷気で体が冷えてしまい寒く感じることもままあったりする。とまあ、会社に着く迄にこれだけの体力を消耗するのだから、会社に着いた時には既にHPが危険な状態にある訳だ。もう、仕事そっちのけですよ。

 そういえば昔、未だ私の部屋に冷房が無かった時代、明日のメシに困るような極貧の家庭ではなかったが扇風機も無く、ただひたすら団扇を扇ぎ続け快適を得ていた日々もあった。まあその頃は今と比べたらたいして暑くなく、酷暑日(気温35度を超える日)など劇的に少なかったであろうと記憶している。そんなことを思い出すと、昔に比べて着実に地球温暖化になっているんだなあ、とふと考えてしまう。「地球温暖化」なんて言葉は当時小中学生だった我々にはさして現実味が無かったが、こうやって10年も経つとその意味合いがようやく体験を以って理解できるようになったのである。そうすると、今の小中学生が10年後体験を以って理解するためには更に気温が上がらなければならない。10年後、更にその頃の小中学生が……考えるだけで体が熱くなってくる。

 さあ、いつもならこれからが夏本番。未だ残暑すら来ていないこの夏を、果たして私は乗り越える事が出来るのだろうか。下準備としてとりあえず散髪してみた海の日の夕方。
# by hidemite | 2004-07-22 01:03 | 日常
【はじめに】 思いつきを淡々と記す日記
思うこと、ありのままに。

をモットーにお届けしようと思います。
取り急ぎ、今まで書いたの、下に。
これから、がんばる。
# by hidemite | 2004-07-21 01:43
【大学生の時】 シリーズ「俺と」
こんなのも書いていたりする。

2002.04.21 ■俺と文明■ 第四話

 あなたが子どもの頃、現在という未来がこのようになっているとは想像したであろうか。それとも、考えていた未来より物足りないものであったろうか。少なくとも、日を追う毎に科学は進歩していき、生活はより便利になっている筈だ。
 思えば文章なんてものは原稿用紙に書いていた。今ではコンピュータが普及しワードプロセッサで容易に編集することができる。街中から電話をかけるときは公衆電話からかけるのが一般的だった。今では携帯電話が普及し、何時何処でも電話をかけたり受けたりすることができる。人間と同じ形をした機械が人間と同じように歩けるようになった。一部ではあるが人間の行動を肩代わりできるようになった。そしてこれら科学の発展はこれからも続き、今よりももっと便利になり、きっと明るい未来が待っているはずに違いないと多くの人間は思う事であろう。そしてそれはその日になれば現実となる。
 便利になった事は確かなのである。だがしかし、私達はその便利と引き換えに多くのものを失ってやしないだろうか。先程の例を逆に思うならば、コンピュータの普及により漢字が書ける人間は確実に減っている。携帯電話が使えない場面に陥ってしまったら友人と待ち合わせる事すら出来ない。そして、機械が人間と同じことをできるようになってしまったら、いづれはその場所から人間は消えていく。人間が培ってきた多くの機能が機械に代替される事によって、その機能を人間自身が用いる事はなくなってしまうかもしれないのだ。これはある意味危機かもしれない。
 幸い人間の脳を完全に真似できる物質が存在しないために大事には至っていない。しかし、いつかは出来てしまうかもしれない。そうなった時、文明は人間ではなく機械が作っていくものとなってしまうかもしれない。そうなった時、人間はどのような存在になるのか。非常に興味は湧くが、自分が生きている時には、そのような世界になって欲しくないと身勝手に私は思うのだ。



2002.03.26 ■俺と卒業■ 第参話

 もう卒業式を経験するのは4回目となる。
 思い返せば10年前、小学校の寒い体育館で何時間も時間をかけて練習していた気がする。行進、礼、挨拶、校歌、卒業の歌、そして賞状の受け取り方。もちろんあの頃はそんな式典を見ること自体初めてで、何もかもが初めての体験には凄く戸惑ったものだ。しかし、あれからちっとも変わっていない。自分の動作、周りの風景、思い出される学生生活。ただ一つ違ったのは、涙のなの字もでないほど感動しなかったという事実だけ。歳をとればとるほど余計な知識がコブのようにたまり、そのコブが邪魔をしてしまっていたのだ。
 これから当分の間、卒業という言葉には縁がなくなってしまう。そんな最後かもしれない「卒業」はなんとなく味気のないものになってしまった。やはり、小学校の卒業が一番泣けた気がするのだ。元来涙もろい私は、基本的には感動すれば泣いてしまうが、物心付いた頃から時々我慢をしていたような気がする。でもそれは泣けるほど感動していないのだと思う。あふれ出る涙が止まらないこともしばしばあった。あの頃は若かったなぁ。
 話がそれた。何かを卒業するという事は、たいてい次には新しい何かが待っている。私の場合はそれが就職で、今は一番期待と不安が入り混じっている時期だ。これは気になっているあの娘と同じクラスになるかならないかの緊張の一瞬に似ているようで微妙に違う。そんなもどかしい気持ちでいられるのもあと数日間。始まってしまえばなんてことはない、次の「卒業」に向けてただひたすら走っていくしかないのである。



2002.03.26 ■俺とドラマ■ 第弐話

 私はこの1月よりひさしぶりにドラマというものを見た。やはり面白いものだ。
 身近に見えるようで、決して現実ではないこの物語。ありえないと思っていても、見ているときの心は無意識に誰かに照らし合わせているものだ。その人間に感情移入して、行く末を固唾を飲んで見守る姿は、他人から見たらどのように映っているのだろうか。そして毎回ドラマが終わる度の次回予告を見て、どのようになってしまうのか想像して、そして展開を気にしてしまう。よく雑誌には最終回予想なんてものがのっかっていたり、テレビなどでもどうなって欲しいかなどど民間人に意見を聞いている。その予想に良くも悪くも裏切られたりするわけなのだが、その度にああ、よく出来ているなと思うものだ。
 ただひとつ、嫌いなところがある。最近(といってももう何年も前から)の初回と最終回の時間延長だ。これはビデオ録画して見る人間には辛く、時間を延長するくらいなら、もう一話分増やせばいいのにと思う。というのも、今回旅行に出たときに録画時間を延長するのを忘れ、4つのうち3つのドラマの最後15分を見損ねているからだ。日本に帰ってきて愕然とした。以前も野球の延長で最終回が30分しか見れなかったということがあったが、今回はそれ以上に悔しかったりするのだ。こういうときに限って録画時間を9時から9時54分なんて時間きっちりにとっていたりする。全くこれにはこまったものだ。これだからドラマは嫌だ。
 これから私もメディアに触れる人間として、今、素人が思うたわいのないことを持ち続けていかなければならない。そう考えると最終回こそ中途半端に終わったものの、この3ヶ月は決して無駄ではないと思う次第なのです。



1999.12.08 ■俺と作曲■ 第壱話

 全ては、高校2年の蒼碧祭が始まりだった・・・・

 tenjikuのホームページを見た人はわかると思うが、私は作曲をしている。
 小さい頃からまあまあ音楽に身近な環境にあり、 母親が少しピアノを弾いていたので自分でも片手でよく弾いていたもんだ。 いまではそのピアノは物置き場になりつつある。 なかなか年代物のイカスやつなのである。他にもキーボードがあったりと、 曲を作るにしてはかなり良かったのかもしれない。唯一悔やまれることは 親が私をエレクトーン教室に通わせてくれなかったことであり、 なんとなく友達が両手で弾けるのを見るとうらやましかったりしたものだ。 それとなく私も挑戦してみるのだが、飽きっぽい私には長くは続かなく、 片手で弾ければ十分と思ってこの歳になってしまったのである。
 音楽とのふれあいが始まったのは小学校6年生の頃であり、 この頃はとてつもないドラクエブームだったので聞こえる音を頼りに (楽譜が無かったため)片手でかなりの曲を弾いていた。 音楽委員会というのにも所属しており(放送委員会は大人気だった)、 リコーダーで太陽にほえろとかを吹いていた記憶がある。
 私は口がかなり大きく開くので、声もそれなりにでかく、低かった。 中学校と高校は歌で常に良い成績をキープしていたくらいである。 歌うこともたまらなく好きになってしまった。
 そして、高校3年の夏。バスケ部数人で遊びでCDドラマみたいなのを作っていて ばかっぷりを発揮していたあの頃。たまたまマインスイーパの勝負で負けた私は そのドラマの主題歌を作ることになった。
 このとき、初めて自分で作詞・作曲し、歌を歌って録音したのだ。 しかし、その曲は何も思われることも無かった。
 話は前後するが、高校2年の学園祭のときに私ともう一人でトライミーを 歌う羽目になってしまったので、そのときはそれなりに盛り上がりを見せ、 その後、その二人のユニットの名前が「点軸」と決まったのである。 その1年後に、また歌を歌うことになったので、 今度は自分たちで曲を作ろうということになり、 相棒が作詞を、私が作曲をしてステージに立ったのである。
 それ以来、またどどまる事を知らない天竺(名前を変えたと思う)として、 私は作曲しつづけているのである。
# by hidemite | 2004-07-21 01:42 | 日々思考