<   2004年 09月 ( 13 )   > この月の画像一覧
【無意味】 ネタが無いということ
 最近更新もせず、のらりくらりと毎日を過ごしているような気がするのだが、それは当たりでなかなかこの日記を書く気力が起きない。というか、ここに載せるようなネタはある一定のレベルを超えていなければならない訳で、言い換えれば、作品の状態にならない限りは闇に葬り去られてしまう。言い訳をするつもりではないのだが、ここ最近夜の帰りが遅く、何か考えている暇が無いため、結局コンピュータも起動せずに寝床に着いてしまう毎日が続いている。
 結局、今の私には余裕というものが存在していないのだ。思えば一人暮らしを始めた頃にはまめに部屋掃除や風呂掃除などをしていたが、今となっては隔月が当たり前のようになり、徐々にダラダラしてきている。食器洗いも昔は丹念に布巾で水分を拭き取っていたが、今となっては気が向かない限り自然乾燥にまかせてしまう。これは、引っ越したから起きた変化なのだろうか。
 取り急ぎ、半年以上ほったらかしているパソコンの筐体の製作や、敷ききっていないタイルカーペットの残りの部分を埋めなければならず、その後にも部屋の模様替えであるとか、その他もろもろ・・・・・考え出すときりが無い。そんなことに追われている今の私からは到底ネタが出るわけも無く、この場所を見学する人間が一向に増えない状況は明らかで、ああ、旅行記のように毎日かけたらなと、あの頃の余裕の有り様を羨ましく感じてしまう。未だ2週間しか経っていないのに。
 だから、暫くはネタが出ないので、暇な時に過去の焼き直しでもしてみようかと思うのだ。実は旅行に行った時に撮った写真の枚数は、400枚を超えていた。その写真を見て、何か書けそうなネタがあればそれをピックアップして、過去の思い出に浸るとしよう。ああ、結局駄目人間。
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by hidemite | 2004-09-30 01:26 | 日々思考
【徒歩】 常に歩くということ
私は今、歩いている。

暗い夜道を、歩いている。

歌いながら、歩いている。

景色を見ながら、歩いている。


上を向けば、あたり一面の星空。

右を向けば、高速に駆け抜けていく車。

左を見れば、延々と続く壁。

下を見れば、アスファルトが私の行く先を示している。


私は、歩くのが好きだ。

終電を逃して歩いたことも何度かある。


成城学園前→相模大野、4時間30分。

 普段は電車が走る登戸の陸橋からの景色はいつもと違って見えた。

新宿→梅ヶ丘、2時間。

 国道20号を通り、山手通りに入る、いつも下北沢近辺で苦戦していた。

渋谷→梅ヶ丘、1時間30分。

 友人と喧嘩して帰った時、心配して2人の別の友人がついてきてくれた。

赤坂→梅ヶ丘、3時間。

 会社の人々と歩き、先輩と意地を張って最後まで歩き続けた、初台を経由して。

経堂→梅ヶ丘、30分。

 実家から帰る最終電車は、いつも2駅前で終点だった。

三軒茶屋→梅ヶ丘、1時間30分。

 世田谷区役所からの帰り道で、いつも1本道を違えていた。

目黒→不動前、20分。

 たった一駅だから、常に近道を探し続けた。


そして、今日。

私は今、歩いている。

多摩川を越え、左手にある洗足池を眺めながら。

武蔵小杉→不動前、99分。


そして、未だ見ぬ未来もきっと歩く。
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by hidemite | 2004-09-21 01:37 | 日々思考
【料理】 自信作のカレー、その悲惨な結末
 たった一日、されど一日。その甘い考えが、私の一人暮らし生活初の大惨事を生むことになろうとは。どうも、お元気ですか。旅行から帰ってきて心身ともにリフレッシュしたはずなのに、いまいちリフレッシュしたんだかしてないんだかわからないような微妙な感覚で毎日を過ごしております。余談ではありますが、旅行記本文中に「屋根が落ちた」旨の表現がありましたが、東京に戻ってくる迄「天井」という言葉に全く気付かず、過度に皆を心配させてしまったらしく、己の語彙力の無さにただただ気を落とすばかりです。
 つい先日のことである。久しぶりに7時過ぎから調理にとりかかれるということで、私は迷わずカレー作りに挑戦することにした。なんせカレーを作ろうとなるとゆうに1時間強はかかってしまうので、9時過ぎに帰宅する現状ではなかなか作る気力が生まれてこないのだ。そして、私はふと思い出した。そうだ、会社の誕生日祝い品で圧力鍋をゲットしたはずだと。そしてその圧力鍋はまさにこのカレー作りの為に今まで幾多の調理機会を失いつづけてきた。というか圧力鍋を使う料理など下ごしらえの時間に気を取られてしまい、実際の調理時間は短くなれど、なかなか手を出しづらいのが現状だった。
 しかし、初めてのことだからどうやって調理したらいいのかわからないくらい複雑な気持ちだった。圧力のかけ方抜き方、冷却の仕方等、逐一マニュアルを見ないと正常な状態なのかどうかすらわからない状態だ。私にとって、圧力鍋との出会いは今回が一生のうちで初回ということになる。そもそも圧力鍋は金持ちの家にある高価な調理器具だと思っており、調理の時間が大幅に短縮されるとても母親想いな鍋だから、いつか買って親孝行してやろうとさえ思うようなものであった。そんな高価なものだと思うからこそ、なかなか今まで調理できなかったという悲しいかな貧乏性の私。しかし、今日をきっかけに、これからは多くの調理機会で使用することになるだろう。一度圧力鍋の魅力に惹かれてしまったらもう元には戻れない。
 肉が軟らかいのは勿論の事、ジャガイモが煮崩れせずに残っており、また人参は私が今まで調理した中で最高峰の軟らかさ。これら非常にベーシックな素材しか入っていないのにもかかわらず、私が今まで作ってきた中で最高のカレーといえる食料であった。米を2合炊くべきだったと、たった半合をケチった私にただただ悔いるのみである。なんにせよ、圧力鍋の強靭な調理パワーに恐れ入り、これなら肉じゃがもおでんの大根ももってこいだなと、これから寒くなる冬の調理に一役買いそうな予感がしている。
 話をカレーに戻そう。いつもなら寝る前に2回分くらいに小分けして冷蔵庫に保管しているのだが、季節は既に秋だったので、小分けせずに鍋のまま自然放置していた。そしたら、帰ってきてビックリ。たった半日で、カレーの表面には白いカビがほぼ一面を覆うように出来ていた。私は愕然とした。実はこのカレーに使った肉は等級4の牛肉という、消費期限が近づいていたので半額ではあったのだがそれでも100g300円以上する、私の中ではかなり奮発して購入した部類に入るものだ。製作日に食べる時も、うまく3等分するような形で肉の量を調節していたのだが、実にその三分の二のおよそ200gが闇に葬られた格好になる。というか、私の一人暮らし生活の中で、これほどまでに食べ物を粗末にしてしまったのは初めてで、被害総額はおよそ千円は下らないだろう。さらにそれは私の夕食2回分だと思うと、精神的なダメージはかなり大きいものとなった。だから、冬期以外は二度と自然放置してなるものかと心に固く誓ったのであった。
b0000480_1275035.jpg 本来ならば今日もそのカレーを食しているはずだったのだが、そのカレーは既にこの世には無かったため、スーパーで買い物をし、キャベツたっぷりのレンコン豚肉炒めと、1尾105円の新秋刀魚で、今日の夕食を彩った。ちょうど先週末に買い物をしており、秋刀魚をのせる細長い皿を購入していたので、それにピッタリ収まる格好となった。これはこれで良い感じ。ちょっぴり焼きすぎたかな、秋刀魚。こうして一人暮らしを2年続けておりますが、私は元気に生きています。お母さん、どうか心配しないで下さい。
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by hidemite | 2004-09-16 01:26 | 料理ネタ
【旅行記】 9月10日 大阪→東京(後夜祭)
b0000480_2195115.jpg というわけで、夜行に間に合わないくらい話に花が咲いた(はずだ)から、宿をとっていない私は結局同期の家にお世話になってしまった。彼の出勤と同時に私も大阪へと向かい、駅で別れ、暫く大阪見物することにした。
 とりあえず地上に降り立ち、徒歩圏内で何か見所があるか探す。地図を見るとなかなか近そうな所に大阪城がありそうなことがわかったので、とりあえずそれを目指すことにした。まずはなんとなく中之島公園に足を運ぶ。そしたらなんか地下鉄の工事とやらをしており、がっかり。さらには、ここは薔薇で有名らしいのだが、こんな花の咲きようがない九月に訪れても何もなく、ただ普通の川に浮かぶ公園を散歩しただけの結果に終わった。それにしてもこの街、川があるせいで橋が多い。しかもほとんどの橋に何らかの装飾が施されているのだ。そんな橋に騙され、この後、私の予定が大幅に狂うことになろうとは、当時の私には知る由もなかった。
 私がその時に渡った橋は、天満橋という橋だった。橋を渡るとすぐに商店街が現れ、とりあえずその商店街を軽く見学することにした。そしたら、なんとまあこの商店街の長いこと。一番街に始まり、二、三、四、五、六、七、八と途中でアーケードがなくなっても延々と続いており、淀川にぶつかりようやく終わった。おそらく二、三十分は歩いたに違いない。一応橋の半分位まで歩き、普通の川風景で十分間。やはりおかしいと、良く考えたら途中寄り道した天満宮より南にあった筈だと、確認するため、近くのコンビニで地図を見る事にした。
 後、がっかり。
 最初に渡った天満橋の一本東の橋からすぐだったのだ。しかもその橋は目視できる距離にあり、また、天満橋を渡った次の交差点を右に曲がろうか迷った挙げ句、結局左にある華やかな商店街にふらっと体が向いてしまっていた自分にただただ悔いるのみで、悲しいかな今来た道を引き返す事に。先程は閉まっていた店舗もほとんどがオープンしていた。もう、こんな時間かぁ。
b0000480_220264.jpg なんとか当初の予定より約一時間半遅れで大阪城に到着。デカイ。松江城の比じゃないんですけど。確か松江城に行った時に日本で二番目に大きい(一番は姫路城)と言われたような気がしたが、こっちのほうが大きい気がする。中に入ろうと思ったが、さすが大阪だけあって、いままでに無いくらいの観光客の多さ。最上階の展望台にわんさか人がいたので今回はパスすることにした。しかし、よく考えたら今日は平日なわけで、次行く機会があったとしても、もっといるのだろうな。さすがに歩き疲れたので、帰りは電車で。なんか、スイカが普通に使えてしまった。関西圏はイコカというICカードが普及しており、先月から相互利用が可能になったのだ。私的には青いイコカのカードを所持してみたかったが、さすがにそんな事しても何一つ得がないので、あきらめた。
 そして、帰りは高速バスで帰ることにし、待ち時間の間に、炭水化物がおかずという矛盾を抱えながらお好み焼き定食を食べ、長い旅路に終りを告げようとしている。
 現在東名高速を走行中。東京到着予定は十時半。長い長い帰りのバスの時間は、この旅路の余韻に浸るのにピッタリだ。ああ、この旅ももう終りだなあと思いながら、一週間ぶりに帰る家よ、どうか無事でいてくれと、徐々に現実にひき戻されて行く。
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by hidemite | 2004-09-10 19:29 | 山陰旅行記
【旅行記】 9月9日 城崎→玄武洞・福知山・柏原・篠山口→大阪
b0000480_2181032.jpg 今日は最終日。いつもより遅く起きて、のんびりと温泉につかる。一通りの観光メニューはこなしたので、後は帰るだけだ。昨日の夜に計算したら、今回の旅の総額はおよそ十万円強だった。一日平均で交通費込二万円といったところ。ま、そのうちお土産が二万弱してるから、そんなもんだろう。ちなみに私、大学の卒業旅行でも同じような事をしており、その時は鹿児島まで行ったのだが、十日で十五万くらいだったような気がする。それから考えれば少しは贅沢したのかな。あ、大学時代一人も友達がいない寂しい人間ではありませんから。
 とりあえず城崎を後にし、一応最後の観光ポイント、玄武洞へと向かう。駅を降りると、全く観光色あふれないただ普通の田園風景と真っ直ぐにのびる道路、そして申し訳なさそうに立っている川渡しの看板があった。しかしその先には誰もおらず、ただ案内板が置いてあるのみ。暫くすると逆方向からの電車からオバチャンズ五人衆がやってきた。どうやら彼女達も玄武洞を目指してやってきた来たようだが、川を渡る手段がなくて途方に暮れているようだ。二十分は待っただろうか、ようやくボート屋の人々がやってきた。聞けば今回の台風の片付けで大変だったようで、遅れてしまったらしい。一同ほっと胸を撫で下ろし、無事玄武洞に到着。オバーズが十一時に帰ると言い出したため、正味五十分しか見る時間がない。と慌てていたら意外に見るところはなく、三十分で事足りてしまった。うーむ、ここに四時間いる予定だったのに、さすがに一時間もいないとなると大幅に予定が狂った。時刻表を見て、途中下車できそうなところを探すことにしたのだ。
b0000480_2182360.jpg しかし、山陰地方のガイドブックしかもっていかなかったので、かなり分が悪い。全然見所がわからないのだ。仕方なく駅に立てられている名所案内を見て、徒歩で行けそうな距離の名所がある所で下車することにした。しかし、なかなかそれがみつからない。結局、多くの観光客っぽい人々が乗ってきた柏原駅で降りた。しかし、ワンマンの質が下がったなぁ。何故自分の手で扉を開けなければならんのだ。こんなん雪が多い東北地方だけにしかないものだと思っていたよ。
 柏原で途中下車して、一時間ほど見学し、大阪へと向かう。途中福知山駅でようやく四両以上の電車に遭遇。ようやく都会の風を感じることができた。そして大阪にある支社に初めて顔をだし、上司と同期とご飯を食べて、夜の闇は更けて行く。
 結局その同期の家に世話になっており、明日帰還することになりましたとさ。いやー、明日は金曜だけど、きっと帰ったらヒマそうだ。ま、洗濯はしなきゃね。
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by hidemite | 2004-09-09 23:01 | 山陰旅行記
【旅行記】 9月8日 鳥取砂丘→浜坂・餘部→城崎
b0000480_2164892.jpg 昨夜山陰地方沖を通過した台風は、夜十時過ぎには鳥取にも訪れ、私は暫くの間寝つくことができなかった。昨日の事件は半ばトラウマ気味に私の脳裏に焼き付いており、何時何処で何が起きるか想像もつかなかったからだ。結局例の部屋の隣で寝ることとなり、恐怖感はなかなか拭えない。おまけに隣の部屋からはドンドンと聞きたくもない嫌な音が聞こえ、また別のところからはベコンベコンと奇妙な音が鳴り止まない。このまま寝ないでいようかとも思った位の、自分史上最高台風でございました。でもあっさり寝ましたが、何か?
 今日は朝からきっと晴れてると思い、五時半に起床。まだ太陽こそ出ていなかったものの、空は適度に青く、絶好の砂丘観光日和となった。早速砂丘へと降り立つ。そこには壮大な砂の丘があった。多少草などが生えているところもあって驚いたが、まさに砂・砂・砂。ホテルから半分くらいは見えていたので、「なんだ、砂丘とはこんなもんか」と甘く見ていたが、いざ歩いて見るとなかなか海岸が見えてこない。おまけに起伏が激しいのも手伝って、海岸が見えた頃にはゆうに三十分も経っており、いつのまにか太陽が顔を出していたのである。正直言ってしまえば、日の入りのほうが美しい。昨日は写真こそ撮れなかったものの、ほんの一瞬だけ海の彼方に沈む前の瞬間をとらえることができた。それに比べると朝は逆の大地方向から出てくるので、お土産屋がなかなか視界から消えないのだ。なんとかうまく隠れるポイントを見つけ、写真に収め、又奥地へと歩き出す。途中で切り上げたのだが、結局二時間も歩いていたようだ。既に朝食の時間がはじまっていたので、そのままご飯を食べ、少し休んで、チェックアウトをし、後半戦に突入。ただ、この後の列車の時間があるため、長居はできない。よく数えたら三十分しかなかった。しかし、八時を過ぎると平日だというのに観光客がわんさか湧き出し、一気に砂丘は足跡だらけ。これではなかなか感動できない。朝早起き出来て良かったと思うのである。
 そして、この旅の第三の鉄道ポイント、餘部鉄橋へと向かう。途中浜坂駅にて待ち時間があったため、昼飯。今日は夜にそれなりに美味しいと思われるものが食べられる筈なので、ごく普通のうどんを食べる。同じ列車に乗っていたものわかりの悪い中年男子二人が突然メニューに書いてないものを注文しだしたのだ。ホント、こういう客がいるから、いつまでたっても都会の人間の価値はあがらんのだろうな。
b0000480_217167.jpg 栄養を蓄え、ようやく準備が整う。列車に乗り、三駅先の餘部で下車。ここでは丁寧にも撮りポイントが用意されていた。とりあえず四本の列車を撮ることにしていたため、一枚目はそこで撮り、残りの三枚は鉄橋下からいいポイントを見つけようとした。結果、失敗。走り回り、良さそうなところはあったのだが、私の持っているバカデジカメは逆光等の調節ができないため、うまく写らなかった。ま、景色が楽しめたのでそれで良しですわ。しかし、この大きな鉄橋はずいぶん昔に作られたとは思えないほどがっちりしている。下から見るとよくもまあこんな鉄橋が作られたものだなぁとその大きさに圧倒されてしまう。また、近くの海岸は大荒れで本日二度目の大自然を感じた。しばらく海岸を見ていたが、ひっきりなしに護岸に波が打ち付けるその様は、まだ台風の影響が残っているのではと思うほどだ。荒れ狂う波に危うく飲み込まれそうになりそうだった。
 一通りの撮影を終え、列車に乗り、温泉の街城崎へ。まさに情緒あふれる温泉街で、癒しの街と言ってもいいくらいだ。今日で最後の宿になるわけだが、この街にふさわしい感じの旅館で、気分も最高。食事はちと満足するには至らなかったが、雰囲気で良し。又ここに泊まる人々は外湯が入りたい放題という特典付きだ。一軒五百円もする七つの外湯が入りたい放題とだけあってお得感満載である。街並みも綺麗で、二泊してもいいくらいだ。早いもので明日が最終日。今までの旅の疲れを癒すために、これからさらに温泉につかりに行き、ぐっすりと安眠させていただきます。それでは皆さん、さようなら。
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by hidemite | 2004-09-08 21:04 | 山陰旅行記
【旅行記】 9月7日 米子→鳥取砂丘
b0000480_2151716.jpg 台風が各地に被害をもたらしている。まさか、私がそのうちの一人になりそうになるとは思ってもいなかった。

 今日は七時前に起床。せっかくなので露天風呂に入ることにした。台風はまだ九州にいるようだが、今はまだ青い空も見える。嵐の前の静けさとはこのことを言うのだろうか。太陽が見え隠れするのに、この後台風が来るなんて思いもよらない。しかしこの宿はすごい。やはり空いていたらしくいい部屋に案内されたようなのだが、私の感覚からすると四人はゆうに泊まれる。ま、二人部屋なんだろうな。後で館内案内図を見たのだが、シングル用の部屋はこの四分の一しかなかった。改めて旅館の方々に感謝。それに加えて朝食のなんと豪華なこと。これ夕食ですからと言われても普通に納得してしまいそうなほどで、普段食べないのにもかかわらずおかわり用のおひつを全てたいらげてしまった。次回も皆生温泉に来たら是非ここに泊まりたい。
 名残惜しく皆生温泉を後にし、米子へと戻る。今日は鳥取砂丘に泊まるのだが、多少時間があったので市内を散策することにした。まずは米子城へ。いきなり登山となり、汗を掻きながら頂上を目指す。十分はたったろうか、もう一休みしようと諦めかけていた時に希望の光が見えてきた。頂上に到着すると、そこには何もなかった。ただ広い丘があるだけで、それの形成に石が必要だっただけのようにすら見える。ただ、逆に目の前を遮るものは何もなく、米子周辺が一望できる非常に見晴らしのいいその丘は、山登りの疲れを吹き飛ばしてくれたほか駅周辺を散策。ここで昼食までとる予定だったのだが、あまり見るものがなく、朝飯を食べ過ぎただけにまだ腹も減っていなかったため、米子を後にすることにした。駅には丁度十分後に発車の倉吉生き列車が停まっており、とりあえず倉吉まで行こうと列車に乗り込んだ。
 今日のびっくりはここで起きた。普通列車はだいたい片道百キロ程度しか走らないため、例え乗り通そうとしても主要駅で乗り換えの必要な時がある。丁度米子はそんな駅で、私が乗ったこの列車も松江方面から来る列車を待っての発車となった。ところが、台風の影響でいっこうに列車の来る気配がない。それに加え、午後休校となったのだろう高校生達がわんさか乗ってきたのである。おまけにまっ昼間ということだけあって、一両しかない列車は満杯。久しぶりの都会気分だ。隣の高校生が「いまだけ都会じゃねー?」と言っていた。甘いな、都会はこんなもんじゃないんだよ。
 暫くして二両編成の接続列車がやってきた。ただ、もう乗る場所なんてないほど混んでいた。やっとのことで全員が乗車したが、数分経っても発車しない。準備を終えた運転士も困惑している。瞬間、向こう側の列車の側面にある行先表示が「倉吉」と表示されたが、すぐに米子へと戻った。もしやと思ったが、降りた瞬間に扉が閉まろうものなら虚しさ一直線なので少し待つ。駅構内放送が流れ、結局はその向こう側の列車に乗ることになった。ようやく列車は三十分遅れで出発した。さらには次の駅でホームからあふれんばかりの学生達が待っており、結局二両あっても満杯になってしまったこの列車。実はこの列車が今日の物語の鍵となる。というか、この列車が鳥取まで行く最後の列車だったのだ。
 倉吉駅に到着する前に、聞きなれない車内放送が流れた。どうやら台風の影響でこれから先の全ての列車が運休になるらしい。次の倉吉発鳥取行きを最後に、鳥取方面へ向かう列車はなくなるため、あわててその列車に乗った。既に外はそれなりに雨が降っていた。なんとか鳥取駅に着いた頃には、外は嵐。駅の案内表示は全て「調整中」。待合室には運転再開を待つ人々。なんとバスも運休になっており、仕方がなく砂丘まではタクシーで向かうことになった。
b0000480_2152891.jpg ホテル到着。四時にチェックインなんてこの旅始まって以来だ。しかし、この三十分後に死の一歩直前を見ることになろうとは知るよしもなかった。丁度この部屋からは砂丘まが良く見え、荒れている様子をビデオで撮っていたその時だった。

「バターン!」

振り返ると、八畳間の中心に、布団が敷かれいる、まさに、その脇に、屋根が、落ちて、鞄を、直撃した。荷物の整理をしていたら、確実に下敷になっていたに違いない。これから、死と隣り合わせのこの宿と闘うのか。今日はこのへんで失礼。自分よ、どうかご無事で。
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by hidemite | 2004-09-07 17:40 | 山陰旅行記
【旅行記】 9月6日 松江→出雲→皆生温泉(米子)
b0000480_2134464.jpg 旅も三日目に突入。いつもならばまだ起きていない時間(と言っても七時半だが)に起きる生活にもようやく慣れてきた。徐々に規則正しい生活へと向かっており、普段もこのままでいれたらなんて思うが、それはなかなか難しそうだ。宿泊した宿は朝夕食なしのプランだったので、当然朝ご飯は食べずに宿を後にした。電車まで少し時間があまりそうだったので、取り急ぎお土産のひとつでも買いにいこうかと散歩をする。しかし、ガイドブックに載っていた八時半にはお土産センターはまだ開店していなかったのだ。そこには九時からと書いてあったのだ。残念ながら九時まで待つ余裕はなく、結局駅へと向かうこととなった。
 今日は国鉄ではなく、一畑電鉄という私鉄に乗り、出雲大社へと向かう。久しぶりに一時間に一本は走る鉄道だ。かなり自由度が高い。普段の私の生活からは考えられないものだ。電車は宍道湖沿いや市街地、田園風景など様々な場所をそれなりのスピードで走る。一時間もすれば出雲大社前駅へと到着。まずは旧JR大社駅へ。しかし、そこではまたびっくりな出来事に遭遇することとなる。
 既に営業を終えたとは思えないほど外観、内装は整っており、雰囲気のために置いてある人形に思わず声を掛けてしまいそうなくらいだ。朝早く訪れたので、近所のおじいさんが掃除をしていた。きっとこういう人がいるから十年以上経った今でも、綺麗なままなのだろう。一通り写真に収めると、休憩にきていた近所のおばさんに声を掛けられた。遠方から来た人間に対するありきたりの会話を暫く続けていると、途中から妙な会話になってきたのだ。聞けばここでかなりの数の出会いがあるらしい。出雲大社が縁結びで有名だからかな?しかも何故か年上好きの男性と年下好きの女性の成功率が高く、休前日の夜はすごい事になっているらしい。ホントのとこはどうだかわからない。というのも、そのおばさんにいきなり立候補されてしまったからだ。突然の言動に開いた口が塞がらなくなりそうだったが、まあそんな対応もまずいと思い、笑ってごまかす事にした。聞けば四十六だと。てかその歳、お母さんじゃねーか。確かにそのおばさんも言うように、恋に年齢など関係ないのかもしれないが、さすがにひとまわり以上離れたら対象外だろう。そのおばさん曰く、自分の知り合いにはそういう人が沢山いるんだとさー。「アンタ、特殊だよ」と心で思いながら、会話を必死に終らせようとするが、これがまたなかなか終らない。ま、とにかく新鮮な話し相手がほしいようで、私がだんだんおざなりになり、他の人がきだすと自然と会話はなくなり、ようやく解放されたころには二十分が過ぎていた。うーむ、無駄ではなかったが奇妙な時間を過ごしたもんだ。
 次にようやく出雲大社へ。松江城もそうだったのだがこちらもいろいろとデカイね。なんか昔の絵が書いてある案内板を見たが、ゲームで出てくるような神殿みたいだった。先にも述べたがここは縁結びで有名らしい。私が二人あっても足りないくらいの太い綱が二つ、結ばれている場所もあった。
 そして昨日と違い今日は順調に昼飯にありつけた。どうやら出雲は蕎麦に力をいれているらしく、割子蕎麦を食べることにした。でも、うまいね。
 その後、歩いて三十分で海に出たり、出雲市の古き良き街並みに触れたり、抹茶ソフトを食べたりして、列車に乗って、米子駅へ。降り立つと既に雨が降り始めていた。偶然にも今日宿泊する皆生温泉行きのバスはすぐに来て、あまり濡れなかったのだが、終点のバス停から宿が少し離れており、結局少し濡れてしまった。
b0000480_2135579.jpg 今日のびっくりは宿に決定。一人宿泊で探した所、夕食無し七千円で見つけたのだが、普通考えたら二万弱くらいかかりそうな宿だ。もしかしたら九月の月曜だからいい部屋にしてくれたのかもしれない。また、およそTシャツにリュックサックという如何にも不釣り合いな格好で来た客にも笑顔で迎えてくれて、非常に感じがいい。温泉も内湯と露天風呂があり、どちらも貸し切り状態。うーん、やはり泊まっている人は少なそうだなぁ。
 今日は気持ち良く寝られそうだ。後は起きたら台風が過ぎていることを願うのみ。雨の鳥取砂丘はどうなんだろうか。
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by hidemite | 2004-09-06 23:47 | 山陰旅行記
【旅行記】 9月5日 潮→三次・備後落合・木次・宍道→松江
b0000480_2121629.jpg 昨日の夜、そして今日の朝、テレビの天気予報はどのチャンネルを選んでも【雨】一色。これはもう、今日の旅をげんなりさせる要因の大部分を占めていると言っても過言ではなく、昨日に続き何か事件の匂いも感じられるほどだ。宿を後にすると、既にしとしと雨が降っており、ただ運休しない事だけを願い列車にゆられて一時間、なんとか雲の隙間から青いものが見える位まで奇跡的に天気が回復し、この後のトロッコ列車への期待は高まるのである。
 トロッコ列車の始発駅、備後落合駅に到着。ここで一時間ほど休憩だ。時間が空くのはわかっていたので、この間に昼飯を食べる作戦だ。いつもよりは早いが、時間もあることだし、おそらくこれから列車に乗ったら食べられないだろう。その思いとは裏腹、「なんと寂れた駅なんだ…」。そこには何もなかった。おまけに公衆電話すら見つからない。やっとのことで見付けた店は無惨にも「本日休業」の看板が…。仕方がないので小一時間散歩することにした。結局食処はみつからかったのだが、かわりに奇妙なものを見付けた。今はもう使われなくなったトンネル。おそらく老朽化に伴う関係だと思うが、片方からはトンネルに苔がびっしり張り付いている姿が確認できた。もう片方は高い壁で塞がれており、もう二度と使われないのだろう。b0000480_212472.jpg
 散歩を終え駅へと戻ると、ちょうどトロッコ列車がチビっ子達を乗せてやってきた。行きは雨が降っていたのだろうか、床には水が残っており、座席を拭いたと思われる雑巾も目に入った。ああ、やはり雨に降られるのかなと朝の天気予報を思い出した。しかし意外にも天気は悪くなく、時折晴れ間も見せ、順調に列車は走っていく。途中駅で手打ちの蕎麦や延命水と呼ばれる美味しい水などに出会い、何とか腹も満たされた。なんといっても体全体で感じる奥出雲の風が気持ちいい。トンネルに入っても汚れなかったし、ね。
 今日は松江に宿泊。多少時間があったので松江城にも行くことができた。すげーでかいね。びっくり。その後、夕食は宍道湖にちなんだものを食べるために三十分くらい街を散策。鯛めしが有名なようで、それが食べられるお店へ。そこでもびっくり。ビール飲んだけど、しめて七阡圓なり。ひとりで。まだ二泊目にも関わらず、恐ろしい贅沢をしてしまった私は、これからどうなっていくのだろうか…あ、もちろん最高でしたよ。
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by hidemite | 2004-09-05 22:04 | 山陰旅行記
【旅行記】 9月4日 広島→新山口・津和野・益田・江津→潮
b0000480_293613.jpg 前言撤回。やはりバスの中で快適な睡眠ができると思ったら大間違いだった。いくらリクライニングが付いていようと、三列であろうと、変わりはしない。途中何度も目が覚め、結局修学旅行の帰りのバス位しか寝られなかったようで、定刻に広島に着いた時はすこぶる眠かったのである。
 広島に一人で降り立つのは今回で二度目となる。ふと目を向けると広島市街図があったので、それを見て行き先を決めることにした。広島滞在時間は約一時間半。そこで比治山公園へ。高台にある陸軍墓地から市街地を望む。ちなみにここには放射線影響研究所なるものもあった。帰りは路面電車で広島駅へ。そして新幹線に乗り、新山口へと向かう。あれ?昔、小郡って名前じゃなかった?
 新山口到着。既にSL列車はホームに到着済みで、かなりの人で賑わっていた。もちろんプロの写真家もいたが、やはり珍しいイベント色満載の列車だけあって、家族連れにも大人気。人が被らないように撮るのは至難の技だ。この列車は各車両が異なる内装をしており、さらには後部に展望車が付いている。私はほとんどの時間をそこで過ごした。
b0000480_2101024.jpg 事件はその展望室で起きた。SLはその名の通り蒸気の力を必要とする。その蒸気を作り出すためには熱を作らなければならない。その為炭が必要となる。そしてそれらは列車を運行している間中は休み無く行われてなければならないのだ。それだから、先頭車両から常に煙が出続ける。いつ、いかなる時も。順調に走り続けたSLは心なしかいつもより勢い良く煙をあげる。その煙はゆっくりと客車を包む。私は客車の側面から景色を見るため展望室へと向かった。外の風は気持ち良かった。多少灰が顔に当たるがそれがまた新鮮で面白い。暫くすると列車はトンネルへと入る。トンネルの中が煙で満たされ抜けるともやっとした煙が私を包む。数秒経つと真っ白の曇り空が見えてくる。それがまた面白い。
 そうこうしているうちにだんだんとトンネルの距離が長くなりはじめた。私はそれでも展望室に居続けた。そして、トンネルから抜けると、大変なことになっていたのだ。服が黒い、腕が黒い、顔が黒い。つまりは煤だらけだった。私はその後約半日の間、まっくろくろすけとなり、皆に好奇の目で見られながら行動するはめになりましたとさ。風呂に入ったのに、一生懸命洗ったのに、まだ一部落ちてない状態で明日へと向かう。
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by hidemite | 2004-09-04 21:48 | 山陰旅行記