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【学生】 そういえば既に夏休み
 7月も今週で終わりとなり、いよいよ夏本番となる8月を迎えようとしている。夏本番といえば海、海といえば砂浜、砂浜といえばスイカ割り、スイカ割りといえばハチマキ、ハチマキといえば祭り、祭りといえば縁日、縁日といえば金魚すくい、金魚すくいといえばプール、プールといえば水着、水着といえば日焼け、日焼けといえば・・・・・と半ば強引に連想ゲームをしてみると、そこからあるひとつのキーワードが摘出される。即ち「休み」である。

 社会人生活も3年ともなると、毎日が夏休みのようだった大学生活が懐かしく感じられ、そのまた前の夏休みのことなんてすっかり忘れてしまっていた。教師志望だというのに学生の夏休みにすら気付かないなんてどうにかしている。というのも、よく考えたら先週あたりから休みなのである。私の記憶が正しければ、3連休の休みでせっかくプレ夏休みをエンジョイしていたのに、たった一日の終業式の為に海の日の翌日は学校に行き、運が悪ければ大掃除まで付いて来るというおまけ付きの、夏休みイヴと呼んでしまうときこえはいいがひとつも学生のためになっていない日を経て、夏休みがやってくるものであった。まあ、その昔海の日なんてものが存在しなかった頃は3連休でもなんでもなかったし、追い討ちをかけるように週休2日制なんてものも存在していなく、土曜日の午前中は学級活動と道徳というおよそダラダラムード満載な時間割でたまに抜き打ちで英語の授業なんてものが存在していたもんだ。

 貴方が子供の頃に刻んでいった「夏休みの思い出」の1頁には果たして何が描かれているであろうか。海・・・、山・・・、帰省・・・、田舎・・・、とんでもない。ぶっちぎりでダントツ1位に挙げられるのは「宿題」に他ならない筈だ。ほんのごく一握りの人間を除いて、殆どの輩は「宿題」という敵に立ち向かい、「にげる」を選んだにもかかわらず、「宿題 にまわりこまれて」しまい、更に「にげる」を選ぶのだが、「宿題 からは永遠に逃れ」られず、結局ギリギリの土壇場で傷を負いつつも何とか勝利するパターンを経験している筈だ。翌年こそはと翌年の夏休み開始3日間迄は計画的に取り組む予定を立て、9月に入ってから宿題をやらぬように努めようとするのだが、どうにも11時頃に再放送される「タッチ」や「少年アシベ」等に目が眩んでしまい、それどころではなくなってしまうのだ。そして選手でもないのに地元の高校野球の試合中継に魅入ってしまい、まさに三日坊主。自分が悪い筈なのに、8月末に決まって泣きながら7月の日記を書き、新聞の天気予報の週間予想を参考に天気を記したら真面目な友人の日記の天気と違い慌てて書き直したにもかかわらず、その友人も実は適当につけていて本当に書いていた所まで書き換えてしまい、「今日は、天気がいいので海水よくに行きました。」「8月3日 天気:雨」なんて矛盾だらけの日記が一丁上がり、先生からはこっ酷く叱られたり友人には笑われたり、散々な夏休み明けを体験したことはないだろうか。

 もうそんな思い出を振り返るような歳になってしまった。今では夏休みなんぞ取れて5日。前後の休日との合わせ技1本でも最大で9日しか取れそうにない。勿論有給をもっと使えば2週間休むことも不可能ではないだろうが、永久に会社に行かなくてもよくなってしまう危険性を孕んでいる為なかなか取りづらいのが現実だ。その限られた時間で今年はどこへ行こうかと考えながら、そういえば鳥取砂丘って未だ見た事無いなぁと妙に山陰方面に関心を示す最近の出来事。青春はしてないけど、青春18切符で時間をかけて旅するに違いない。鉄っちゃんではないけれど。
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by hidemite | 2004-07-27 02:27 | 日常
【憧れ】 となりの・・・
 例の日をピークに徐々に過ごしやすくなってきておりますが、皆さん如何お過ごしでしょうか。このまま気温が下がり続けるようなことが仮にあったとするならば、今年の夏は永遠にエアコンをつけることは無いでしょう。などとちょっと意地を張ったりしてみるが、結局はさしてそう暑くもない日にころっとつけてしまうものなんだろうなぁ。先週の日曜日は半日海に繰り出しており、その後バスケという半ば健康優良児的な生活を送っていましたが、そのときに出来た日焼けが今まさにようやく取れかけようとしております。

 ようやく先週あたりから仕事が落ち着きだし、なんとか自分の家の近くのスーパーが空いている時間に帰れるようになってきたのだが、それでも閉店間際の滑り込みの日も多く、ついつい半額になっている牛肉なんぞを見つけたりするとおもむろに手を取りレジへ向かってしまうという、エンゲル係数増量中で貯金も一向に貯まる気配がない「魔の時間帯」に帰る事が多い。今日も花の金曜日だからだろうか、夜8時半を回って会社に残っていた同部署の人間は私ともう一人しかいなかった。当社比0.25倍である。流石に仕事をしている自分が馬鹿らしくなってきて仕事を放棄する形で家路へと急いだわけだが、家に着くや否やテレビの電源をおもむろにつけると、そこには壮大なファンタジー映画があった。日本人で知らない人はいないと言って良い位の有名監督宮崎駿作品「となりのトトロ」である。

 もう既に10時だったのでまっくろくろすけ登場シーンは見逃したものの、残りの一時間はつい魅入ってしまい、いつもならシャワーを浴びてご飯の用意まで出来る時間をすべてそれに費やしてしまった。いやー、何度見ても面白いよね。しかし大人になって改めて観ると、細かい所で横槍が入り、子供のときに感じていたあのドキドキ感は殆ど無くなってしまっているのだ。これが非常に自分をげんなりさせてしまう。そんな事御前気にすんな、黙ってドキドキしてりゃあいいんだよ。ってな感じで怒られそうな横槍は以下。

・隣にあんな巨大生物が来たら逃げるだろ、普通。好奇心ありすぎだよ。
・お父さん、あんなにガリガリ&ガリ勉っぽく見えるのに、チカラあるんだな。結構な体力の持ち主でも両腕に子供は結構堪えるはずだ。
・ヤツが畑の周りを跳んでるのに、何故地響きが起きないんだ。
・てか、あんな速度で飛んだら人間は息できねーだろ、普通。
・カンタの三角漕ぎは異常だろ、あの自転車でかすぎねーか。
・ああ、サツキとメイって、どっちも5月のことじゃないか。

 しかし、なんだかんだいっても、大人であっても、あのふかふか(そう)なお腹にはぜひしがみついてみたいし、ネコバスに乗って全国を旅してみたいって気持ちは持ちつづけているもんだ。でも、「一生に一回だけ、貴方の願い事を叶える事が出来ます。」という問いに対して、「じゃあ、その願い事100に増やしてください。」と答えてしまうような私には到底そんな夢など夢のままで終わっていくに違いない。所詮目の前に金の斧があったら素直にそれが欲しいと叫んでしまいますよ、ええ。

 何にせよ、子供の頃にこの映画を見れた私はきっと幸せなのだろう。だたら、将来子供が出来た時には是非ともこの映画を見せてあげたいと、3度も蚊を捕まえるのに失敗しながら不安な気持ちで寝床に着く今日この頃。
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by hidemite | 2004-07-24 02:16 | 日々思考
【猛暑】 体温よりアツイ夏
 最近の事ではありますが、私も生息しているここ東京では、なんと最低気温が30度を超える日があったようで、ただただ驚くばかりである。最低気温とはその日1日の中で一番気温が低かった時の気温だから、要はこの日は30度を下回る時が一瞬も存在しなかったということになるわけだ。さらには中お隣の千葉県では40度を越えた地域もあるそうで、もう何がなんだかさっぱりわからない。人間の平熱がおよそ36度であるから、風邪引いて熱を出している温度と何ら変わらないのである。

 そんな中、私はこの夏未だ冷房を使用せずに生き延びている。もちろん2年前から愛用している1980円の扇風機には大変お世話になっている訳だが、今この時に冷房を使ってしまうと、この先8月の1ヶ月間は冷房を使用し続けなければならないのではないだろうかという恐怖感が、今にも壊れそうなエアコンのリモコンのスイッチから私の手を遠ざけていく。しかしよく考えてみればこれ以上気温が高くなるということはほぼ考えようが無い状態なので、今冷房をつけても致し方ないと割り切ることもできなくもない。もう今私がスイッチを押さない理由なんて「意地」の2文字が頭から離れて行かない事に他ならない。まあ、きっと友人等が遊びにでも来たらあっさりとつけてしまうんだろうな。

 しかし、朝起きた瞬間からのこの熱気は一日の活力を半減させること間違いナシだ。決まって布団のシーツと枕は湿っており、頭から流れ出る汗は永遠に止まらない。しかも外出した方が幾分も涼しい環境という、まさに角部屋でない故の苦しみを味わいながら着替えをし、いち早く家を出るのだ。駅迄の道程は正に灼熱地獄。「涼しい」なんて言葉は一言も発する余裕など無い状態である。ようやく駅に着き電車に乗ればそこはパラダイス。冷気の効いた快適な空間が待ち受けている。一気に気持ちも大きくなり、満員電車でも全く苦にならない。但しその時点で着ているワイシャツには汗がタップリ付着し、逆に冷気で体が冷えてしまい寒く感じることもままあったりする。とまあ、会社に着く迄にこれだけの体力を消耗するのだから、会社に着いた時には既にHPが危険な状態にある訳だ。もう、仕事そっちのけですよ。

 そういえば昔、未だ私の部屋に冷房が無かった時代、明日のメシに困るような極貧の家庭ではなかったが扇風機も無く、ただひたすら団扇を扇ぎ続け快適を得ていた日々もあった。まあその頃は今と比べたらたいして暑くなく、酷暑日(気温35度を超える日)など劇的に少なかったであろうと記憶している。そんなことを思い出すと、昔に比べて着実に地球温暖化になっているんだなあ、とふと考えてしまう。「地球温暖化」なんて言葉は当時小中学生だった我々にはさして現実味が無かったが、こうやって10年も経つとその意味合いがようやく体験を以って理解できるようになったのである。そうすると、今の小中学生が10年後体験を以って理解するためには更に気温が上がらなければならない。10年後、更にその頃の小中学生が……考えるだけで体が熱くなってくる。

 さあ、いつもならこれからが夏本番。未だ残暑すら来ていないこの夏を、果たして私は乗り越える事が出来るのだろうか。下準備としてとりあえず散髪してみた海の日の夕方。
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by hidemite | 2004-07-22 01:03 | 日常
【はじめに】 思いつきを淡々と記す日記
思うこと、ありのままに。

をモットーにお届けしようと思います。
取り急ぎ、今まで書いたの、下に。
これから、がんばる。
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by hidemite | 2004-07-21 01:43
【大学生の時】 シリーズ「俺と」
こんなのも書いていたりする。

2002.04.21 ■俺と文明■ 第四話

 あなたが子どもの頃、現在という未来がこのようになっているとは想像したであろうか。それとも、考えていた未来より物足りないものであったろうか。少なくとも、日を追う毎に科学は進歩していき、生活はより便利になっている筈だ。
 思えば文章なんてものは原稿用紙に書いていた。今ではコンピュータが普及しワードプロセッサで容易に編集することができる。街中から電話をかけるときは公衆電話からかけるのが一般的だった。今では携帯電話が普及し、何時何処でも電話をかけたり受けたりすることができる。人間と同じ形をした機械が人間と同じように歩けるようになった。一部ではあるが人間の行動を肩代わりできるようになった。そしてこれら科学の発展はこれからも続き、今よりももっと便利になり、きっと明るい未来が待っているはずに違いないと多くの人間は思う事であろう。そしてそれはその日になれば現実となる。
 便利になった事は確かなのである。だがしかし、私達はその便利と引き換えに多くのものを失ってやしないだろうか。先程の例を逆に思うならば、コンピュータの普及により漢字が書ける人間は確実に減っている。携帯電話が使えない場面に陥ってしまったら友人と待ち合わせる事すら出来ない。そして、機械が人間と同じことをできるようになってしまったら、いづれはその場所から人間は消えていく。人間が培ってきた多くの機能が機械に代替される事によって、その機能を人間自身が用いる事はなくなってしまうかもしれないのだ。これはある意味危機かもしれない。
 幸い人間の脳を完全に真似できる物質が存在しないために大事には至っていない。しかし、いつかは出来てしまうかもしれない。そうなった時、文明は人間ではなく機械が作っていくものとなってしまうかもしれない。そうなった時、人間はどのような存在になるのか。非常に興味は湧くが、自分が生きている時には、そのような世界になって欲しくないと身勝手に私は思うのだ。



2002.03.26 ■俺と卒業■ 第参話

 もう卒業式を経験するのは4回目となる。
 思い返せば10年前、小学校の寒い体育館で何時間も時間をかけて練習していた気がする。行進、礼、挨拶、校歌、卒業の歌、そして賞状の受け取り方。もちろんあの頃はそんな式典を見ること自体初めてで、何もかもが初めての体験には凄く戸惑ったものだ。しかし、あれからちっとも変わっていない。自分の動作、周りの風景、思い出される学生生活。ただ一つ違ったのは、涙のなの字もでないほど感動しなかったという事実だけ。歳をとればとるほど余計な知識がコブのようにたまり、そのコブが邪魔をしてしまっていたのだ。
 これから当分の間、卒業という言葉には縁がなくなってしまう。そんな最後かもしれない「卒業」はなんとなく味気のないものになってしまった。やはり、小学校の卒業が一番泣けた気がするのだ。元来涙もろい私は、基本的には感動すれば泣いてしまうが、物心付いた頃から時々我慢をしていたような気がする。でもそれは泣けるほど感動していないのだと思う。あふれ出る涙が止まらないこともしばしばあった。あの頃は若かったなぁ。
 話がそれた。何かを卒業するという事は、たいてい次には新しい何かが待っている。私の場合はそれが就職で、今は一番期待と不安が入り混じっている時期だ。これは気になっているあの娘と同じクラスになるかならないかの緊張の一瞬に似ているようで微妙に違う。そんなもどかしい気持ちでいられるのもあと数日間。始まってしまえばなんてことはない、次の「卒業」に向けてただひたすら走っていくしかないのである。



2002.03.26 ■俺とドラマ■ 第弐話

 私はこの1月よりひさしぶりにドラマというものを見た。やはり面白いものだ。
 身近に見えるようで、決して現実ではないこの物語。ありえないと思っていても、見ているときの心は無意識に誰かに照らし合わせているものだ。その人間に感情移入して、行く末を固唾を飲んで見守る姿は、他人から見たらどのように映っているのだろうか。そして毎回ドラマが終わる度の次回予告を見て、どのようになってしまうのか想像して、そして展開を気にしてしまう。よく雑誌には最終回予想なんてものがのっかっていたり、テレビなどでもどうなって欲しいかなどど民間人に意見を聞いている。その予想に良くも悪くも裏切られたりするわけなのだが、その度にああ、よく出来ているなと思うものだ。
 ただひとつ、嫌いなところがある。最近(といってももう何年も前から)の初回と最終回の時間延長だ。これはビデオ録画して見る人間には辛く、時間を延長するくらいなら、もう一話分増やせばいいのにと思う。というのも、今回旅行に出たときに録画時間を延長するのを忘れ、4つのうち3つのドラマの最後15分を見損ねているからだ。日本に帰ってきて愕然とした。以前も野球の延長で最終回が30分しか見れなかったということがあったが、今回はそれ以上に悔しかったりするのだ。こういうときに限って録画時間を9時から9時54分なんて時間きっちりにとっていたりする。全くこれにはこまったものだ。これだからドラマは嫌だ。
 これから私もメディアに触れる人間として、今、素人が思うたわいのないことを持ち続けていかなければならない。そう考えると最終回こそ中途半端に終わったものの、この3ヶ月は決して無駄ではないと思う次第なのです。



1999.12.08 ■俺と作曲■ 第壱話

 全ては、高校2年の蒼碧祭が始まりだった・・・・

 tenjikuのホームページを見た人はわかると思うが、私は作曲をしている。
 小さい頃からまあまあ音楽に身近な環境にあり、 母親が少しピアノを弾いていたので自分でも片手でよく弾いていたもんだ。 いまではそのピアノは物置き場になりつつある。 なかなか年代物のイカスやつなのである。他にもキーボードがあったりと、 曲を作るにしてはかなり良かったのかもしれない。唯一悔やまれることは 親が私をエレクトーン教室に通わせてくれなかったことであり、 なんとなく友達が両手で弾けるのを見るとうらやましかったりしたものだ。 それとなく私も挑戦してみるのだが、飽きっぽい私には長くは続かなく、 片手で弾ければ十分と思ってこの歳になってしまったのである。
 音楽とのふれあいが始まったのは小学校6年生の頃であり、 この頃はとてつもないドラクエブームだったので聞こえる音を頼りに (楽譜が無かったため)片手でかなりの曲を弾いていた。 音楽委員会というのにも所属しており(放送委員会は大人気だった)、 リコーダーで太陽にほえろとかを吹いていた記憶がある。
 私は口がかなり大きく開くので、声もそれなりにでかく、低かった。 中学校と高校は歌で常に良い成績をキープしていたくらいである。 歌うこともたまらなく好きになってしまった。
 そして、高校3年の夏。バスケ部数人で遊びでCDドラマみたいなのを作っていて ばかっぷりを発揮していたあの頃。たまたまマインスイーパの勝負で負けた私は そのドラマの主題歌を作ることになった。
 このとき、初めて自分で作詞・作曲し、歌を歌って録音したのだ。 しかし、その曲は何も思われることも無かった。
 話は前後するが、高校2年の学園祭のときに私ともう一人でトライミーを 歌う羽目になってしまったので、そのときはそれなりに盛り上がりを見せ、 その後、その二人のユニットの名前が「点軸」と決まったのである。 その1年後に、また歌を歌うことになったので、 今度は自分たちで曲を作ろうということになり、 相棒が作詞を、私が作曲をしてステージに立ったのである。
 それ以来、またどどまる事を知らない天竺(名前を変えたと思う)として、 私は作曲しつづけているのである。
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by hidemite | 2004-07-21 01:42 | 日々思考
【明後日は】 レクリエーション
 入梅と言いながら、中々雨なんてふらねージャンって一昔前の若者風な言葉を言っている隙に雨がしとしと吹き荒れる今日此の頃。皆さん如何お過ごしでしょうか。私は毎朝、睡魔との戦いの連続で、毎日乗車する電車が異なっているような状況です。まあ、昔に比べたら朝は4分に1本電車が来るようになっている非常に便利な環境になりましたので、1本逃してもげんなりしません。ただ、そのせいか最近まったく朝飯を食べておらず、起きて5分後には家を出る(昔は7分かかっていた)という殺人的なスケジュール。ならばこんな時間まで起きてなければいいのかもしれませんが、少なくとも週に1・2回は日が変わってから帰宅することもある為、なかなかそうもいかないのが実情です。

 入社して早3年、後輩も徐々に入って来ており、立派な先輩像を見せなければならないのでしょうが、中々そうもいきません。よく入社して3年間は使い物にならないと言われておりますが、まさにその通りで、先輩らしい姿を見せられるのは後輩にご飯を奢ってあげる時位のもんですよ。背中が寂しい限りです。
 そうは言っても、後輩に出来るレベルの仕事を教えられるのが、どうやら私しかいないらしく、もう一月になりますが教育係なんて者になっていたりします。でも、肝心の仕事の中身は教えられないので、「あいつには気をつけろ」とか「あの先輩はおいしいメシを奢ってくれる」とか「あの人は構ってると話が長くなるから適当にあしらっとけ」とか、実際の仕事にさして役に立たない事ばっかり教えています。そんな彼らも流石にそんな話ばっかりには嫌気がさすらしく、何か暇な時間が出来るたびに「仕事、ありますか?」と尋ねてくる訳です。その度に、「ああ、今は無いよ」と言わざるを得ない私、とその言葉を聞いて寂しそうに席へ戻る彼ら。正に会社が欲している人材は君らのような真面目な人間なんだろうなぁ、とつくづく主婦感覚丸出しの状態で会社のホームページに載っている私と比較してしまいます。
 そんな彼らにカルチャーショック的な出来事が、明後日、訪れます。営業部レクリエーションです。
 私が入社して3ヶ月と経たないうちにこの行事がやってきましたが、それまでもカルチャーショックはありましたよ。時間は守られないし、定時なんて概念は無いし、禁煙の会議室でタバコは吸うし、机の中に入れている筆記具が当たり前のように毎日無くなっていくし・・・・・・極めつけは金曜・土曜の2日間に亘って行われるレクリエーション。祝日でもなんでもないのに、態々有給を取って金曜日にゴルフをしに行くなんて、今じゃあどの企業もやっていませんよ、ええ。
 まあ、新米はゴルフに参加しませんけど、もはや3年目となった私は嫌でも参加せざるを得ない訳で、出来ることなら風邪でも引いて休んでしまいたいと、一週間前から憂鬱になったりします。ええ、私、ゴルフなんて出来ないですから。しかしやっぱり見っとも無い醜態を晒す事は精神的に耐え難く、よせばいいのに無理矢理1週間前から猛練習したりなんかして、左手に豆作って、結局当日はその痛みで思い通りに行かなくなってしまうもんなんですよね。
 ゴルフが終われば普段よりちょっぴり酔っ払いが多く出現する宴会へと突入するわけですが、まあ、一般的な会社の宴会なんてこんなもんだろうな、と思う内容です。上手く逃げ回らないととんでもないことになりますけど。
 翌日はソフトボールとバーベキュー(後、数名は水浴び)なんですが、今回はボーリング大会に変更になったそうで。ずいぶんとやさしいレクだったりします。まあ、楽しいっちゃあ楽しいんですけど、金曜日休みってのが、いまいち釈然としない訳で、4・5月と売上が達成できてない中で、休んじゃうわけで、こんな感じで営業部というものは回りの人々から白い目で見られちゃったりするわけです。そんな会社だから私が主婦感覚丸出しでも構わないんだな、と思うようにしています。

 泣いても笑っても明後日はレク。これを見ている全員に全く関係の無い出来事ですけど、暇でもあれば陰ながら私が無事帰還できるように祈ってください。きっと「ファー※」と言われる回数が1つづつ減っていくでしょうから。
(※ティーショット等で打ったボールが林の中や、隣のホール等こちらから見えない且つ他の人間にダメージを与えそうな場合、「ファー」とキャディさんに叫ばれる。即ちOB。即ちヘタッピの証)
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by hidemite | 2004-07-21 01:35 | 日常
【日常】 ごくありふれた中の一日
 皆さん、お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。なにやらここの掲示板にも他の人が書き込むようになり、若干の賑やかさを醸し出しているようです。盛り上がることはいいことですよね。

 さて、どうも彼が疲れ気味だという話が実しやかに囁かれているようですが、当の本人はまったく普段どおりに毎日を過ごしているとのことで、皆の思い過ごしではないかと首を2度3度傾げながら何時ものように肉野菜炒めを口に頬張っておりました。そんな中先週のバスケ後の飲み会では、遅刻してきた挙句途中で退室し涼もうと思っていたら道端で寝てしまうという体たらく。おきてみたら終電ギリギリの時間で、慌てて目黒駅へ駆け込んだと、感慨深そうに語っておりました。
 話はそれますが、彼は隠れるのは得意な方で、かくれんぼとかだと殆どが最後に見つかる役でした。気配を隠すのが得意で、また、今でも時折見え隠れしますが、なにより影が薄い。デカイ図体しておきながらそんなことないだろうとお思いの貴方、たまに見てみなさい。人込みの中に紛れたら途端に見失うとき、ありますから。だから昔、24時間かくれんぼみたいなやつがあったかと思いますが、本気で参加しようと考えていたこともあるそうです。昔、たまに見つからないまま忘れられてしまうこともありましたよ、ええ。
 今回も店を出て数十メートル先の歩道で休息を取っていた様で、誰にも気づかれぬまま小一時間ほど寝てしまったそうな。うーむ、失敗。

 さて、そんな疲れ気味と指摘される彼が最近とったと予想されている行動を箇条書きにして記し、本日の書き込みは終わりにしたいと思います。

・スーパーマーケットオオゼキのポイントが736ポイントらしい
・それはポイント5倍セール等を上手く利用しているかららしい
・○割引や半額という言葉につられて買った肉類等が冷凍庫にあふれているらしい
・その割には先輩に誘われる等で平日は2日程度しか自炊できないらしい
・作りかけのパソコンがなかなか完成しないらしい
・梅雨に備えてステンレス多機能物干しスタンドを購入したらしい
・ガスキッチンになったせいか、月の電気代が2000円を越えないらしい
・その割には、ガス代は殆ど変化がないらしい
・今期の録画してみているドラマは「電池が切れるまで」と「新しい風」らしい
・「電池が切れるまで」を見ると毎度切なくなるらしい
・ブラックジャックによろしく8巻をブックオフで立ち読みしたらしい
・そしたら思わず泣きそうになり慌てて日本一の男の魂を引き続き立ち読みしたらしい
・ティファールの圧力鍋を手にしたらしい
・武蔵小山と戸越銀座は徒歩圏らしい
・勝ちTに応募したらしい
・大きいお鍋を購入し、うどん茹でやカレー作りに余裕が出来たらしい
・そのお鍋でカレーを調理したら作り過ぎたらしい
・その2週間前に調理したカレーが未だ冷蔵庫の中で保管されているらしい
・先週の火曜日に食べた時はちょっぴりやばかったらしい
・次のチャンスは月曜日らしい
・今年も健康診断があったらしい
・視力は1.5以上らしい
・体重が前年比1.4キロ増加したらしい
・先週のあるある大辞典IIを見たらしい
・そこではにがりダイエットについて取り上げていたらしい
・今日早速にがりを購入して、夕飯に使用したらしい
・PHSを機種変して、カラーにしたらしい

-以上-
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by hidemite | 2004-07-21 01:34 | 日常
【再始動】 皆さん、お久しぶりです
 仕事が忙しいのを理由になんかしたりして、今迄エキサイトにすらログインしない毎日を過ごしているといった、アシスタントとしては超失格な人生を送りつつ、毎回のバスケの集合時間にすら間に合わないという超ダメっぷり人間です。よくよく見たら前回の書き込みがなんと6月。そのあとに合宿やらなにやら豊富なネタは沢山揃っていた筈なのですが、もう毎日キーボードを叩いて性能の悪い液晶ディスプレイを見ながら仕事をしていると、家に帰ってもなかなかキーを叩く気力がなく、結局面倒臭いと言う理由の下に今迄なんにもして来ませんでした。かといってこの文章を見ている人が何人いるかというとちょっぴり気になったりしますが、中身は大して面白くも何ともなく、数少ない掲示板のうちのひとつを占領していていいのだろうかと思ったりもします。でも、みんな聞いてよの掲示板さえありゃあ、何とかなってしまってるんですよね。

 さて、私事になりますが、最近引越しを致しました。今迄は小田急線梅ヶ丘駅というなかなか小田急線の各停しか停まらない駅の中ではオシャレな部類に入る街に住んでおりまして、駅前にはおいしいケーキ屋さんや、なかなか御手頃価格で食べられる美味しい寿司屋なんてものがあったのです。隣駅の豪徳寺迄は徒歩にして10分程度なので、古本大好きな私にとってはかなり重宝したブックオフにも何度も通わさせていただきました。
 まあ、一番訪れた店ランキングとしては、1位スーパートップス、2位スーパーツカサ、3位ブックオフ、4位ケーキ屋アルパジョン、5位青果福井屋てな感じでしょうか。さすがに自炊中心の生活をしていると、スーパーの特売やタイムサービスが気になってしょうがないんですよね。でもそんなことをいっていたら、会社の女性に「主婦と会話しているみたい」とツっこまれるのがおちなので、なるべく会社の中ではそんな自分をひた隠しにして水面下で「今日は絶対閉店までに帰るぞ」なんて思いながら仕事をしている日もあったりします。
 あ、そうそう、申し遅れましたが、私、何故か会社のホームページに新人の仕事として紹介されることになりまして。私のフルネームを知っている方はグーグルとかで検索してみてください。かなり恥ずかしいですけど、まあ、こんな人間でも仕事は何とかやってますよというなんともへんてこりんなアピールがなされています。まあ、同じ業界を希望していて私のせいで会社に入れなかった人間は相当頭きちゃうような感じです。自分が逆の立場だったらそう思うので。でも、ホントにそう思っているので仕方ないっちゃあー仕方ないんですよ。人事の人も全然手を加えてくれなかったし。よく「今日の特売は何?」って会社で聞かれるようになりました。
 そういえばそのもっと昔、高校3年生の時に城南予備校なる当時神奈川県では有名だった予備校に通っていた時期がありまして、たまたま推薦で合格しちゃったりした時に翌年のパンフレットに自分が載る事になったことがありました。お隣の早稲田塾なんかは駅の看板やらなにやらに自分の写真が載っていていいなーなんて思っちゃっていたのですが、今考えるとあんまり気持ちのいいものではありませんよね。脱線しましたが、その時は嘘で塗り固められた文章が載っていました。だって一言も言っていないんですよ。予備校の勉強が内申に影響したなんて。むしろ内申点は悪かったほうですから。「御前は実技で合格した」と当時の大学の先生に何度も言われて、じゃー実力では無理だったんだなと思い知ったくらいですから。そんな人間なのに「推薦も城南予備校、サイコー」なんて嘘はさすがにつけないですよね。
 ああ、話がずれてしまいましたね。ずれたついでにもうひとつ。皆さんもご承知のとおり、私、見た目と精神年齢が実年齢とかけ離れているんですよね。それでいて恰幅がいいんですよ。何が言いたいかというと、成人式の写真、羽織袴で撮った訳なんですが、地元の伊勢丹の写真屋で未だに飾られているらしいんですよ。それもびっくり。親が快く返事をしてしまったおかげでもう3年間もこの時期になると飾られておるんです。まあ、この写真を見た人は誰もが一斉に口を揃えて「見合い写真?」っていう位ですからたまたま写真写りが良かったんでしょうかね。

 ちょっと道が外れすぎたので今日はここまで。最後まで付き合ってくださいましてありがとうございました。もう眠いので思考が働いていない・・・
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by hidemite | 2004-07-21 01:34 | 日常
【脚色小説】 永遠の別れ、その愛と。
 「これからもずっと一緒にいれたはずなのに・・・」そう呟きながら、私は彼女と永遠の別れを告げた。何しろこのような形で全てが終わりになるとは思っていなかったので、ただただ動揺するばかりである。おそらく相手側もそう思っているかもしれない。いや、むしろそのはずだ。それ程にこの別れは唐突で、更に無残に引き裂かれていったのである。
 思えばもう1年以上は付き合いのあったことだろうと思う。モスグリーン色をまとった彼女は、それこそ私の中では好きという部類に入っていたし、どんなことがあっても必ず一月に一回は私に近い存在だった。私が遅くまで仕事をしていたり、何も言わずに飲み会へ向かっても、何一つ文句を言うことはなく、いつでも、見守ってくれていたのである。私にしては出来過ぎだ。きっと、そこまでしてくれているのにも関わらず、私が何一つ気遣わなかったことに対して、神様が天罰を下したのかもしれない。

 その日の朝も、相変わらず遅刻寸前の電車に乗るべく気力を振り絞って外出7分前に起きていた。私は彼女と一緒に家を出、そのまま駅まで歩いていく。駅のホームに到着すると、丁度案内放送が流れるという絶妙なタイミングの中、彼女と一緒に電車に乗り、そのまま一緒に会社まで行く。いつものように地下鉄に乗り換えた後は、首に手をまわしてくるのが恥ずかしい。左右の太さが微妙に違うにもかかわらず、一歩間違えれば締付けられるのではないかと思うほどの力強さだ。そしていつもの通り会社に着いてもあたりさわりのない日常を過ごしていた。
 だから、こんな平穏な日々の中で突然起こった衝撃を目の当たりにして、私はただただ笑っているしかなかったのである。その事件は仕事も残業に差し掛かった19時前に起きた。私と彼女はある部屋で作業をしていた。その部屋には、紙が乱雑に置かれている、下のスペースも埋まっていて地震のときにはなんにも役に立たないような机が1つと、パイプ椅子よりは多少座り心地の良い椅子が3つ、コピー機、シュレッダー、スチール棚、オーディオラックに収められた機器類が狭い部屋に煩雑に置かれている。私はオーディオラックの配線を変えるべく、シュレッダーをどかし、機器の後ろに周り配線を変更していた。音声が正常に出力されるのを確認し、ラックと先程どかしたシュレッダーを元の位置に戻す。その時、私の耳に微かに聞こえる音があったのだ。と同時に私は急に体が前のめりになった。後ろで私の体を押している感触もない。かといって目の前には壁しか存在しないのだ。私はパニックになった。その状況の中で、彼女が呻き声をあげていた。私はすぐさま異常に気付き、発生した全ての音を脳の中で細分化し、今までの経験と照らし合わせる。そうか、この音はシュレッダーの音だ。私はすぐさま彼女の手を強く握った。しかし見ると彼女はもう、体の半分をうずめてしまっていたのだ。私が彼女に気を使わずに放っておいたせいだ。そんな後悔も虚しく、彼女の身体は切り刻まれ、二度と元通りになることがない。緊急停止ボタンを押し、私はなんとか助かったものの、放心状態になった。

 今まで一度も彼女の名前を目前で呼んだことはなかった。しかし、この場を逃したらもう永遠に彼女の名前を呼ぶことはなくなるだろう。ああ、ネクタイよ、さようなら。
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by hidemite | 2004-07-21 01:33 | 詩・小説
【花】 今日は何の日だったろうか。
 5月の第二週の日曜日と言えば、泣く子も黙る「母の日」と相場は決まっているのだが、案外その当事者達すら覚えていないことが多く、非常に子ども達を困らせるもとにもなっている。
 そもそもこの祝い日の事の始まりは、『アメリカのウエストバージニア州の女性が無くなった母親の命日に、教会で白いカーネーションを配ったことが由来』で、その後、1914年にウィルソン大統領が5月の第2日曜日を「母の日」と決めたことで、世界中に広まったらしいんですな。日本では大正時代ごろから一般に広まったらしく、母親がご健在の人には赤いカーネーション、母親を亡くした人には白いカーネーションを贈る風習があったようです。だから間違っても白いカーネーションなんてものを贈ったら少し知識のあるお母さんなら激怒もんです。せっかく心を込めたのに台無し。まあ、今は色も沢山あるしあんまり気にされて無いようですが・・・これ豆知識ね。

 皆さんご存知の通り、母の日は1年に1回しかないわけで、母にとっての3大ビッグイベントのうちの一つとも言えるのではなかろうかと思います。母の日、誕生日、結婚記念日。まあ、後数十年もすると敬老の日もかかってくるんでしょうかね。私達子ども(特に男子)は、母の恩恵を受けているにもかかわらず、なかなかそれを返す場は無くて、せいぜい普通の日に母の手伝いをしようものなら、何か悪いことをしたか、何かのお願いがあるが為にやっているとか酷く計算めいたものに見えてしまうらしく、結局はそのようなイベント事が無いと大見栄を切ってやれなかったりします。
 お小遣いが月に「学年×100円」だった小学生の頃は、花になど回す余裕も無く、また全てのお年玉は親に管理されていたので当時の頭脳をフル回転させて考えた挙句出た結果が、「お手伝い券」。まあ、そんなもんだろうな。当時にしては良くやったと思う。

 話は大幅にそれるが、私のお小遣いの変遷は一部が少々捻くれていた。小学校5年から貰いだし、小学校の時は上の様であったので、まあ普通だったが、中学生になって、お小遣い交渉のときに父の提示した値段は「720円」。なんでも5年→6年で、2割増だったから6年→中1も2割増にしてみたんだそうだ。正直千円貰えると思っていた俺はがっくりしていた様で、それを見かねた父がお小遣いアップ大作戦を私に提示してきたのだ。結果、それによってお小遣いは月額1050円と大幅に増額し、当初の予定よりも多く、また税抜きで1020円までの賞品が購入できたのはある意味優越感でさえもあった(当時消費税は3%、これで歳がばれるかもな)。その決め方はシンプルかつ大胆な「阿弥陀籤」。籤の下にあった選択肢は720円、800円、900円、1050円、どうやら死んでも1000円だけはあげたくなかったらしい。てか、籤運の悪い私が最高額を当てるなんて父も予想していなかったようで、「すごいなー」といいつつ心の中では自分の小遣いが予想より(たった数百円だが)減ってしまい何度も舌打ちをしていたに違いない。まあ、その後は学年が上がる度に1500円、3000円と、少々貰いすぎなくらいにまで発展していった。それにしても、小遣いを貰うときに大きい札しかないと言われ、それと引き換えに御釣を渡していたのは私だけだろうか。

 さて元に戻そう。中学生くらいから懐にも徐々に余裕ができ始め、母の日にカーネーションの1本や2本買ってプレゼントできるようにまでなった。それは徐々に豪華になっていき、切花から鉢植えになり、渡すタイミングも凝るようになっていった。高校生の時は、母が昼の買い物に行く時間帯にこそっと抜けて、花を買いに行き、自分の部屋に隠しておいて夜何でもない時に渡すという、別に最初っから渡しておけばいいものを、買ってるそぶりを見せないようにするが為に自分の部屋を花の匂いで充満させ、夜寝辛くなったこともあるくらいの演出家だったのだ。最近は家庭も冷えきっており、当たり前のように花を渡すだけだ。それでも母が喜んでくれるのが申し訳ない。結局は気を遣わせてしまっているのだ。

 来月には父の日もあったりして、とかくこの世の中には普段想いを伝えられない人間に対してそういった機会を与えるというイベントが多くある。だからこそ、その日を上手く使って相手に気持ちをぶつけるべきなのだろうけど、なかなかもって難しい。そういう事が出来た時、私ははじめて一人前の人間になれるのかもしれないと思った、地震を2度も体感し雨が降りだして明日の健康診断が憂鬱な夜中の就寝時。
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by hidemite | 2004-07-21 01:32 | 日々思考