【大学生の時】 シリーズ「俺と」
こんなのも書いていたりする。

2002.04.21 ■俺と文明■ 第四話

 あなたが子どもの頃、現在という未来がこのようになっているとは想像したであろうか。それとも、考えていた未来より物足りないものであったろうか。少なくとも、日を追う毎に科学は進歩していき、生活はより便利になっている筈だ。
 思えば文章なんてものは原稿用紙に書いていた。今ではコンピュータが普及しワードプロセッサで容易に編集することができる。街中から電話をかけるときは公衆電話からかけるのが一般的だった。今では携帯電話が普及し、何時何処でも電話をかけたり受けたりすることができる。人間と同じ形をした機械が人間と同じように歩けるようになった。一部ではあるが人間の行動を肩代わりできるようになった。そしてこれら科学の発展はこれからも続き、今よりももっと便利になり、きっと明るい未来が待っているはずに違いないと多くの人間は思う事であろう。そしてそれはその日になれば現実となる。
 便利になった事は確かなのである。だがしかし、私達はその便利と引き換えに多くのものを失ってやしないだろうか。先程の例を逆に思うならば、コンピュータの普及により漢字が書ける人間は確実に減っている。携帯電話が使えない場面に陥ってしまったら友人と待ち合わせる事すら出来ない。そして、機械が人間と同じことをできるようになってしまったら、いづれはその場所から人間は消えていく。人間が培ってきた多くの機能が機械に代替される事によって、その機能を人間自身が用いる事はなくなってしまうかもしれないのだ。これはある意味危機かもしれない。
 幸い人間の脳を完全に真似できる物質が存在しないために大事には至っていない。しかし、いつかは出来てしまうかもしれない。そうなった時、文明は人間ではなく機械が作っていくものとなってしまうかもしれない。そうなった時、人間はどのような存在になるのか。非常に興味は湧くが、自分が生きている時には、そのような世界になって欲しくないと身勝手に私は思うのだ。



2002.03.26 ■俺と卒業■ 第参話

 もう卒業式を経験するのは4回目となる。
 思い返せば10年前、小学校の寒い体育館で何時間も時間をかけて練習していた気がする。行進、礼、挨拶、校歌、卒業の歌、そして賞状の受け取り方。もちろんあの頃はそんな式典を見ること自体初めてで、何もかもが初めての体験には凄く戸惑ったものだ。しかし、あれからちっとも変わっていない。自分の動作、周りの風景、思い出される学生生活。ただ一つ違ったのは、涙のなの字もでないほど感動しなかったという事実だけ。歳をとればとるほど余計な知識がコブのようにたまり、そのコブが邪魔をしてしまっていたのだ。
 これから当分の間、卒業という言葉には縁がなくなってしまう。そんな最後かもしれない「卒業」はなんとなく味気のないものになってしまった。やはり、小学校の卒業が一番泣けた気がするのだ。元来涙もろい私は、基本的には感動すれば泣いてしまうが、物心付いた頃から時々我慢をしていたような気がする。でもそれは泣けるほど感動していないのだと思う。あふれ出る涙が止まらないこともしばしばあった。あの頃は若かったなぁ。
 話がそれた。何かを卒業するという事は、たいてい次には新しい何かが待っている。私の場合はそれが就職で、今は一番期待と不安が入り混じっている時期だ。これは気になっているあの娘と同じクラスになるかならないかの緊張の一瞬に似ているようで微妙に違う。そんなもどかしい気持ちでいられるのもあと数日間。始まってしまえばなんてことはない、次の「卒業」に向けてただひたすら走っていくしかないのである。



2002.03.26 ■俺とドラマ■ 第弐話

 私はこの1月よりひさしぶりにドラマというものを見た。やはり面白いものだ。
 身近に見えるようで、決して現実ではないこの物語。ありえないと思っていても、見ているときの心は無意識に誰かに照らし合わせているものだ。その人間に感情移入して、行く末を固唾を飲んで見守る姿は、他人から見たらどのように映っているのだろうか。そして毎回ドラマが終わる度の次回予告を見て、どのようになってしまうのか想像して、そして展開を気にしてしまう。よく雑誌には最終回予想なんてものがのっかっていたり、テレビなどでもどうなって欲しいかなどど民間人に意見を聞いている。その予想に良くも悪くも裏切られたりするわけなのだが、その度にああ、よく出来ているなと思うものだ。
 ただひとつ、嫌いなところがある。最近(といってももう何年も前から)の初回と最終回の時間延長だ。これはビデオ録画して見る人間には辛く、時間を延長するくらいなら、もう一話分増やせばいいのにと思う。というのも、今回旅行に出たときに録画時間を延長するのを忘れ、4つのうち3つのドラマの最後15分を見損ねているからだ。日本に帰ってきて愕然とした。以前も野球の延長で最終回が30分しか見れなかったということがあったが、今回はそれ以上に悔しかったりするのだ。こういうときに限って録画時間を9時から9時54分なんて時間きっちりにとっていたりする。全くこれにはこまったものだ。これだからドラマは嫌だ。
 これから私もメディアに触れる人間として、今、素人が思うたわいのないことを持ち続けていかなければならない。そう考えると最終回こそ中途半端に終わったものの、この3ヶ月は決して無駄ではないと思う次第なのです。



1999.12.08 ■俺と作曲■ 第壱話

 全ては、高校2年の蒼碧祭が始まりだった・・・・

 tenjikuのホームページを見た人はわかると思うが、私は作曲をしている。
 小さい頃からまあまあ音楽に身近な環境にあり、 母親が少しピアノを弾いていたので自分でも片手でよく弾いていたもんだ。 いまではそのピアノは物置き場になりつつある。 なかなか年代物のイカスやつなのである。他にもキーボードがあったりと、 曲を作るにしてはかなり良かったのかもしれない。唯一悔やまれることは 親が私をエレクトーン教室に通わせてくれなかったことであり、 なんとなく友達が両手で弾けるのを見るとうらやましかったりしたものだ。 それとなく私も挑戦してみるのだが、飽きっぽい私には長くは続かなく、 片手で弾ければ十分と思ってこの歳になってしまったのである。
 音楽とのふれあいが始まったのは小学校6年生の頃であり、 この頃はとてつもないドラクエブームだったので聞こえる音を頼りに (楽譜が無かったため)片手でかなりの曲を弾いていた。 音楽委員会というのにも所属しており(放送委員会は大人気だった)、 リコーダーで太陽にほえろとかを吹いていた記憶がある。
 私は口がかなり大きく開くので、声もそれなりにでかく、低かった。 中学校と高校は歌で常に良い成績をキープしていたくらいである。 歌うこともたまらなく好きになってしまった。
 そして、高校3年の夏。バスケ部数人で遊びでCDドラマみたいなのを作っていて ばかっぷりを発揮していたあの頃。たまたまマインスイーパの勝負で負けた私は そのドラマの主題歌を作ることになった。
 このとき、初めて自分で作詞・作曲し、歌を歌って録音したのだ。 しかし、その曲は何も思われることも無かった。
 話は前後するが、高校2年の学園祭のときに私ともう一人でトライミーを 歌う羽目になってしまったので、そのときはそれなりに盛り上がりを見せ、 その後、その二人のユニットの名前が「点軸」と決まったのである。 その1年後に、また歌を歌うことになったので、 今度は自分たちで曲を作ろうということになり、 相棒が作詞を、私が作曲をしてステージに立ったのである。
 それ以来、またどどまる事を知らない天竺(名前を変えたと思う)として、 私は作曲しつづけているのである。
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by hidemite | 2004-07-21 01:42 | 日々思考
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