【文学的考察】 「オタク」について考える
貴方は「オタク」という言葉を聞いて、何を想像するだろうか。おそらく大半の人間が声を揃えて、一言で言えば宅八郎、文章であらわせばジーパンとネルシャツを着用しリュックサックをまとった大きな体の長いしっとりとした髪の毛に覆われた顔にはメガネが申し訳なさそうに掛かっていてなおかつ梅雨時の電車の中のような匂いが絶えない、おもな生息地は東京都千代田区外神田(秋葉原)、好きなアニメのキャラクターの等身大の抱き枕を2つ(常時使用と保存用)所持している人、と言うのではないだろうか。そこまでは思っていなくとも、「オタク」と聞いてプラスイメージを持つ人間はそう多くはないはずだ。たまに例外があって、外見からはとても「オタク」と思えないファッショナブルでイマドキのような人間も存在する。そんな人間が先ほど出たようなイメージとの人間と弾むように会話しているのだから恐れ入る。

似たような使われ方で「マニア」という言葉がある。辞書でマニアという言葉を引くと、「趣味などで、一つの事に熱中している人。狂(きよう)。 」と書いてある。鉄道写真家、切手収集家などが代表例で、マニアという言葉は幅広いイメージを持っているので使いにくかった。そんななかで登場したのが「おたく」という言葉だ。現代用語の基礎知識からの抜粋を次に記そう。「一九八四(昭和五九)年『漫画ブリッコ』誌上で、マンガやアニメ、SFなどのファンのなかでもつき合いたくない特殊タイプのマニアを表す言葉として、中森明夫が命名。相手に呼びかけるとき「おたくは…」という言い方をするところからきた。当初、他人とコミュニケーションがとれない、細部や情報にこだわるしつこいタイプをさしていたが、九〇年ごろより、マンガ、アニメ、ゲームなどのマニア全般をいうようになった。さらにこだわるタイプ、知識のある人、コレクターなどすべてを〇〇おたくとよぶようになっている。長髪、メガネ、Tシャツの太ったキャラクターが戯画的におたくとして描かれることも多い。九五(平成七)年には東大ゼミに「おたく学」が開設され、自らオタキングを名のる岡田斗司夫がマスコミに登場し、海外でも通用する言葉になってきた。電脳情報社会におけるクリエイティブなニュータイプとしてとらえる場合もあり、こだわり派程度の使われ方もされている。」オタクは平仮名で表記するそうだ・・・・・ちなみに私は中森明夫を中森明菜と一瞬読み違えて感心しかけた。話をもとに戻そう。つまりは「オタク」といわれる人間は、普段日常生活をなんとなく過ごしている人よりも一つの事にものすごいエネルギーをかけているのである。そう考えると、何に打ちこむかは別として、私達よりもはっきりとした目的で一つの事に人生の大半を降り注いでいるのである。私達「ふつうのひと」と言われている人間は何かはっきりとした目的に人生の大半を降り注げるようなことがあるだろうか、あっただろうか。そう考えるとあながち「オタク」と呼ばれる人達も侮れないな、と思うのである。

昔は「マニア」でさえネガティブなイメージを孕んでいたが、何を持ってマニアと呼ぶか、ネガティブなイメージかは時代とともに変わるようだ。私も十年前はパソコンマニアと呼ばれていたが、今ではパソコンのことなら「物知り」のあいつに聞け状態になっている。「オタク」という言葉も時代とともに嫌なイメージが払拭されるかもしれない。ただそれには必要な条件があまりにも多すぎるであろう。もっとも、そう呼ばれる人間の外見がクリーンなイメージを持たせるように変身してくれたら、そう難しくもないのかもしれないが。
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by hidemite | 2004-07-21 01:29 | 日々思考
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